『終わり』又は『カオス』の波 ― 2008年09月25日 22時36分29秒

上の写真は本『NARA NOTE』(奈良美智/筑摩書房)と、
『第20回グループ礫(れき)展』のDM。
『NARA NOTE』は、「奈良さんて何考えて絵を描いてるんやろう?」
と、最近興味があって、ちょうど図書券があったので買ってみた。
内容は日記。
時々面白いことが書いてある。
「お金の使い方なんて知らない。どんどん貯金が増えていく」
ああ!そんなセリフ、一度でいいから言ってみたーいっっっ!
でも、その他は私の制作ノートと似たようなもん。
怒って悔いて落ち込んで倒れ込んで・・・そしてまた立ち上がる。
なんか、安心した。
でも、本当に肝心なことは、言葉になんかならない。
日記になんか書けないってことも、わかっている。
まあ、そういうこと。
『第20回グループ礫(れき)展』を見てきた。
この展覧会は、いわば私の「実家」のようなもの。
私の師匠と兄弟弟子がやってる。
私も昔参加してました。
「思えば遠くに来ちゃったもんやなあ・・」
感慨深し。
『第20回グループ礫(れき)展』は、
ギャラリー中井(Tel.075-211-1253)(京都です)
9月23日(火)〜9月28日(日)11時〜19時(最終日は17時まで)
* * *
ちょっと、かなり、涼しくなりましたかね、全国の皆さん?
夜はもう完全に「秋!」っていう感じ。
寒いくらいの夜もある。
わああ!生き返るわあああああああ!!!!!
さて、少し前ですが、9月15日敬老の日の午後、NHK総合TVで、
堀文子さん(日本画家)と野見山暁治さん(洋画家)の、
日々の生活と制作の様子をまとめたドキュメンタリー番組を見ました。
堀文子さんは90歳!野見山暁治さんは87歳!で、
おふたりとも現役バリバリの創作活動をされています。
なんてすごい・・(@_@;)
(私のおばあちゃんは、80歳頃すでに認知症末期状態であった!)
1時間ちょっとの番組でしたが、
日々新しいことに興味を持ち、
興味を持ったものをよりよく知るための行動を惜しまず、
行動して知ったこと、見たもの、得た考えを、
躊躇無く次の作品へと投入し、制作に繋げていく。
その見事な流れに感心することしきり。
特に、堀文子さん!!
幾度か大きな病気もされている様子なのに、
好奇心とそれを支える気力には何ら衰え無し。
お一人暮らしでも、若いお友だちが何人もいるらしく、
『みじんこ鑑賞会』をすると、「みじんこ好きの仲間」が集まってくる。
大きなmy顕微鏡だって持ってるし(笑)
クラゲに興味を持てば、地方の水族館まで出かけていくし。
もちろん、みじんこもクラゲも、必ず絵になる。
こういう素直さ、真っ直ぐさは、真似できん!
私は、興味を持ったもの見た物を短絡的に絵にするのは、
「いかがなものか?」という躊躇がある、どうしても。
堀さんが、この年齢になられたからこそ、出来ることかと。
あと、野見山暁治さんが、一発アッパーかましてくれました。
いわゆる写実の絵について。
『例えば夕日なら夕日を、見たそのまま描いた絵がよくあるが、
見たままを写すんなら、絵より本物の夕日を見た方がいいわけで。
あんな、形を写しただけの絵を見ていると、胸が悪くなってくる。』
(実際の発言ではなく、私なりに受け取った内容の意訳です。)
まあ、何か具体物を見た時に得た感覚を、
純粋に色と形とマチエールに還元してく手法を取っている、
野見山さんの立ち位置からすると、
そりゃそうだろうな、と思うけどね。
こういう言い方になるのは理解できるけどね。
5月の私の個展の時に「こんな技術のひけらかしだけの絵はダメだ!」と、
激怒して帰って行かれたおじいちゃん作家さんも、
「こんな見たままを描くんじゃなくて、野見山さんみたいに、
具体物の中にある要素を取り出して描いたほうが良いと思いますよ」
(つまり私に「別人格になりなさい」と。それはムリ!)
と私にアドバイスしてくれた某ギャラリーオーナーさんも、
きっと同じ考えの人なんだろうな、と。
でもなあ、私、立場の違う野見山さんのような抽象絵画の作品に対して、
そこまでの敵意と嫌悪感は持たないけどね。
だって〜・・・
具象の中には抽象が潜んでいて、最初から、ふたつは敵対するものじゃないんだもん!
* * *
ここでちょっと寄り道。
コンテンポラリー・アートの歴史っていうのは、
いわゆる写実的な表現が完成したあと、
その表現をバラバラに解体・ひとつひとつの要素に分解し、
できるだけ少ない要素のみで何かを表現しようとしてきた、
『解体と削ぎ落とし』の歴史だったと思うんですよ。
で、ミニマリズムの真っ白とか真っ黒の絵を経て、
物体を作らず、コンセプト(ものの考え方)のみが作品になった時、
その解体作業は終わったと思うんです。
抽象画描いてようが、具象画描いてようが、何してようが、
2008年の私たちは、解体作業の終わった後の時代に生きている。
そういう時代に、具象はダメだとか抽象はダメだとか、
言う意義がどこにあろうかと。
もう、そういう、スタイルが議論される地盤自体、とっくに消滅してるんですよ。
4年前と2年前、
ニューヨーク・チェルシー地区のギャラリーを見てまわった時、
正直言って笑いそうになりました。
『なんじゃこら!これがホントに世界の美術界を牽引してる場所のひとつ?』
目から「思いこみ」というウロコがボロボロ落ちました。
上にも書きましたが、第一次大戦前からアメリカが連綿と築き上げてきた、
コンテンポラリー・アートの歴史が、『終わってる』感が有り有り。
『終わってる』という言い方が悪ければ、『カオス状態』。
スタイルは何でも有りの、バラバラ。
バラバラであること自体は悪いことではありませんが、
ひどいものが一杯あって、その中に良いものがちらほら。
ひどいもののレベルは、日本よりよほど下だと思いました。
それでも、量的なスケールが比べ物にならないくらい大きいので、
そのパワー自体は、今も世界一と言ってよいのでしょうが・・・
日本には、まだ『終わり』又は『カオス』の波が来ていないけれど、
遅かれ早かれ、同じような流れになって行くでしょう。
これからは、作品の価値を決めてきた「アートの歴史の中の位置づけ」は弱まっていく。
そして、作家はそれぞれに自分の感覚を頼りに制作し、
作品を評価する人も、自分の感覚を頼りに評価し、
作品を買う人も、自分の感覚を頼りに購入するようになる。
もうはっきりと、『個の時代』が来ている。
美術の世界には、「中心」も「辺境」も無くなっていく。
「みんな、もういい加減自由になりましょうよ!」ってね。
多分、今はとても良い時代になってきたのだと思います。
寄り道終わり
* * *
あ、だからね、私は堀文子さんは良いなー、と思いました。
NYのKさんを思い出してしまった。
Kさんも日本画家さんだけど、自分の興味のあることには躊躇しない。
見習うべき点多し。
私も興味のあることは、躊躇無く追いかけようと。
さし当たっては・・・
あ。水辺。
水面が静かな、関西の水辺の情報募集中!
川は水が流れてて常に動いているからイマイチなんです。
池とか沼とか、ご存じの方は教えてください。
木や草や山や岩や土で囲まれていれば、ベストです。
って、そんなとこ、なかなか無いわな。
自分で地道に探そっと。
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のむのむ
お髭はフレディへのリスペクトでしょー?
のむのむ、いつ頃から生やしてたっけ???
いやしかし、映画館でも思ったけど、フレディの声は最高ですな。
不世出とはあのことよ。フレディの前にも後にもフレディ無し!
ジョージ・マイケルもなかなか良かったけどね・・・
なんでQUEENに入ったらんかったんかなあ・・ブツブツ。
※年末、甘エビ刺身をよろしくね!もちろん安全・最高級品!
camideさん
グレーテスト・ヒッツね!もちろん持っております。
あれ1枚持ってたら、美味しいとこはとりあえずさらってあります。
「Don't stop me now」はノエビア化粧品のCMソングでしたね。
でも、『QUEEN2』とか聞いてみ!ただのヒットメーカーちゃうで!
すごいで!
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では本日はこの辺で。
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