" 点呼する惑星 " - 勝手に大特集! ― 2009年02月25日 17時05分01秒
※(/_;)その後も取り憑かれたように加筆しております。
いい加減止めたいんですけど、止まらない・・・
どんどん変な方向に向かっているので、そう思って読んでください。
読みたい方は最初から最後まで全部洗ってください。
でも、更新は今回で最後!止めだ止めだ〜!!(2009年3月15日)

(↑↑画像クリックでAmazonに飛びます)
(アフィリエイトしてません!単なるリンクです。買わなくていいです!!)
『点呼する惑星』/平沢進
18/02/2009 on sale
CHAOS UNION (TESLAKITE) CHTE-0046 ¥3150(税込)
01.Hard Landing (instrumental)
02. 点呼する惑星
03. 人体夜行
04. Mirror Gate
05. 王道楽土
06. 上空初期値
07. 聖馬蹄形惑星の大詐欺師
08. 可視海
09. Phonon Belt
10. Astro-Ho!帰還
..................................................................
なんだか、アルバムすごく売れているようです。
もともと実店舗での店頭取り扱いが少ない(インディーズだから)ので、
店頭でCDが見つからない人がネット通販に流れると、
ネットでも品切れになるのでしょう。
(でも私は知ってる。タワレコ●石店にはある!神戸以西のヒトはTEL確認後走れ!)
上のAmazonのリンクでは、2月25日現在、
「一時的に在庫切れですが、商品が入荷次第配送します。」
と、なってますね。すっごおおおおおおおい!
(↑もう入荷したみたいですね。2月28日。
ところがまたまた売れたようで、
「通常1~4週間以内に発送します。」
となってます。3月11日現在。
その後また入荷しました。在庫ありでーす!3月15日。)
こんななってるの、ヒラサワさんを聴き始めて初めて見たよ。
* * *
ハイ!
と、いうことで、いつものヤツです!!
m(__)m 申し訳ござりません。
本日はまたしても、
「ついて来れる人だけついて来なさい」シリーズ
です。
本日のお題は、遂に!リリースなりました、
平沢進 11thソロ・アルバム 『点呼する惑星』
まったく興味の無い方には、これにて失礼つかまつりまする。
またのお越しをお待ちしておりまする。
さらば今 倦怠の星!!
では、残ったみなさま、一緒にいきませんか?
..................................................................
まずCDが届いての初聴きは、イヤフォンにしてみました。
音は、スピーカーから出て一度空気を通って耳に入ると、
本当はあるはずの音が消えたり、聞こえにくくなったり、
ある種類の音が妙に強調されたり、バランスが変わって聞こえたりします。
で、まずは耳から直接「高解像度」でもって聴いてみた。
\(・・)/ワ!・・・これ正解!
うううううんんん・・( ´−`)・・・なんと気持ちのよい音か!
キラキラとクリアな音と、位相の変化が気持ちよすぎる!!
* * *
以下、私の感じたことを、順不同で羅列。
・うわー!すっっっごい視覚的!脳内に疑似3D空間が発生する。位相の変化が脳内映像にさらなる拍車をかける!後頭部を左から右、右から左と宇宙船が飛んでいく!
・歌詞がいつもと違う。ほくそ笑みながら裏読み深読みを意地悪く誘う、いつものひねくれた感じがない。平易な語彙を使いながらも、意味的にはそう平易でないことについて、言葉で言い切ってる。でも非常に巧妙だと思う。前作「白虎野」よりよほど巧妙にコワイメッセージの埋め込みがなされてる。
・近年多用していたモヤモヤとしたエコーが無い。なんて、音がクリアですっきりしてることか!「音で言い切ってる」爽快感。
・ヒラサワさんの声が・・・!エコーが抑えられたおかげで、声がすごくよく聞こえる。「02.点呼する惑星」なんて、ほとんど地声じゃないか〜!ほとんどの曲でヒラサワさんのすごくいい声が聴けて幸せ!素敵!!!としか言い様がない!いつまでも聴いていたくなる。
・いわゆる「おねいさんのコーラス」ではなく、「ヒラサワ生声コーラス」が随所で復活しているので、そこが嬉しい。ヒラサワさんのコーラスは美しい。
・歌詞が演劇的。複数のキャラがはっきり分かれて出ていて、それは歌詞の上で分けてある上に、歌唱の声色の違いでも分けてある。この声がまたよく出ている(出来ている?)。この人どんどん声色の幅が広くなってるし、昔より声が安定してるし歌上手くなってる。まさに「ひとりオペレッタ」状態!!まあでもこの「変態声」を好きになってしまった自分はもう末期だなと思う。
・何曲かで、軽快な疾走感の途中、突然、「コワイ人」キャラが現れ、奈落に突き落とされる。これがトラウマになって、「コワイ人」が出てこない他の曲を聴いていても、「もしかして、この曲でもコワイ人出てくるんじゃ・・・(゜ロ)」と、出てこないと分かっていても怖くなる。これは良い「脅し」の効果になってると思う。
・ここには平沢進の他に、イゴール・ストラヴィンスキーとエリック・サティとアルヴォ・ペルトが居る!全員好き!特にストラヴィンスキー大好き!!!ヽ(TДT)ノ(←今回のアルバムの中に本当にこの人たちが居るかどうかは不明。ただ、ウエンディ・カルロスとストラヴィンスキーを好んでいることは、ご本人が発言済み)ヒラサワさんは、「Renard」「Histoire du Soldat(テキスト付版)」「Symphony of Psalms」(by Stravinsky)、「Cocerto for Piano and Orchestra No.1」「Cocerto for Piano and Orchestra No.2」(by Bartok)は、お好きか?
・曲展開の「暴力的ですらある唐突感」と「変態的 旋律・転調・変拍子 の嵐!」が、とっても!ストラヴィンスキー!ユーモラスかつ複雑怪奇で、聴いていてワクワクする!ヽ(^0^)ノ
・どの曲も「途中で唐突に終わる」→「次に続く」感がある。このせいでアルバム全体に切れ目が無く、まさに「架空SF映画のサントラ」。最後「10.Astro-Ho! 帰還」までたどり着くと、また「01.Hard Landing」に戻り無限ループに入ってしまう・・・怖い!この堂々巡りの世界からは、如何にしても脱出不可能ということ!?げげっ!。このアルバムは1曲1曲を切り離すのが難しそうだけど、でもこれで大正解なんだと思う。(もう1枚、ナラティヴ(=物語。話術。語り口。)・アルバムとしてピカイチの「Sim City」と比較しても、断然「点呼する惑星」のトータルの繋がりのクオリティは高い。各楽曲ではなくトータルとして。アルバム持ってる人は聴き比べてみて。)
・いやあ、これはもう、「オケに歌を乗せてる」というよりも、ピカピカ。ドシャーン!ひゅるひゅる。シューッ。という「SEの上に歌を乗せてる」感じ。特に「08.可視海」は、よーく耳を澄ませると、ものすご〜く変な音(おもちゃのスライド・ホイッスルとか)がこれでもか!とばかりにピョル♪ピョル♪プリュリュリュ♪ピョロロオ〜ン♪と鳴りまくってて笑える。それとは全く無関係なフリしてかぶさってくるヒラサワさんのヴォーカルがまた素敵。コーラスも自声でやってて心地よい。しかしよくこんなオケで歌えるものだと思う。でもSEが多くを語るので、今回は歌詞の言葉遣いが平易でもOKなんだな。よいさじ加減のナラティヴだ!
・「09.Phonon Belt」での、Delay Lama(=チベット僧の姿と声を持つボーカロイド)が素晴らしすぎる!!ヽ(TДT)ノ!!!!間奏の歌い上げるソロが泣かせる。モンゴルのホーミーの倍音唱法にも近い、あの微妙な声と、よくまわるコブシと・・・「う〜あ〜い」しか発音できないくせに〜・・・!なんだこりゃ〜〜!ヽ(TДT)ノ"おねいさん"同様、"坊さん"も「磨けば光る」という証明ね。(坊さんは最初から光っている!というツッコミは無し!)これは全部が最高〜。終盤、ヒラサワさんとのデュエットも圧巻!この曲は素晴らしい!!Delay Lamaとヒラサワさんの主従逆転バージョン(Lama/メインボーカル&ヒラサワ/バカコーラス)の曲をぜひ聴きたい!
・「09.Phonon Belt」って、前作「白虎野」の最後の曲「パレード」の白黒反転バージョンではないかという気がした。「パレード」では、「キミの名のもとに 異臭を放ちパレードがくる」けど、「09.Phonon Belt」では、「軍勢のような音の帯が その旋律にキミを見せにくる」。パレードにしても旋律にしても、「"それ"を呼び込むのはあなた自身である」ということ。「音の帯」が「明暗をキミに預けに(あなた自身の、そしてこの世界の行く末について、明か暗かの選択をあなたに委ねるために)やって来る」のも、同様。テーマ『選択』!まんま『白虎野』!!!!!キャー!>*0*<
・「09.Phonon Belt」は歌詞の内容的に映画「マトリックス1」のエンディングテーマでしょう(と、勝手に決めつけ)。映画のラスト、ネオがスミスと対決して銃で撃たれ、一旦絶命した後、「マトリックスとは、コンピュータ上に構築された世界を、自身の脳内で再生したバーチャル世界に過ぎない。バーチャル世界でバーチャルの銃で撃たれても生身の人間は死なない」ということを認識した時に復活。それまで現実と見えていたマトリックスの全てが01のデータの集積になった。あのすごい場面を思い出す。(あの場面を初めて映画で見た時には驚愕した。映画を見てる私は、マトリックスがコンピュータで創られたバーチャル世界だとういうことを映画の中で先に知らされていたにもかかわらず、これは現実世界で起きている話だという思いこみから逃れられなかったから。私って、バカ。)「嵐がくるぞ!」「津波がくるぞ!」「激しい雨がくるぞ!」そのどれもが、それを信じ恐れる人の上にのみやってくる。でも、ちょっと待てよ。「おまえは本当に存在しているのか?」と問いかけたとたん、それは「シュー!」と消えていくものなのかもしれない。「疑え」そして「自分で考え、マトモであれ」ということ。そうやってひとつひとつものごとを確認し、邪な思惑に左右されない自分の世界を自分で構築していけばよい、ということ。この展開は映画『バロン』(テリー・ギリアム/1989)のラストにも同様に現れる。結局「"それ"を信じている者の上にのみ、"それ"はやってくる。」悪いものの到来を防ぐには、想像力を駆使して"それ"を自身の思考の中から消すことだ。(でも、「マトリックス」は1だけで終わるべきでしたね。3まで見ちゃったよ。お金返せ!)
・このアルバムはご本人が「楽しんで創っている感」がありありなので、聴いていて非常に気持ちがいい。でも、言いたいことはストレートに言い切っている。「今眼前の現実がどう映ろうとも、その中から何を選び取り、善きも悪しきもどんな世界を象るかは、あなた自身に委ねられているのだ」ということ。これは今までも繰り返し楽曲の中で語られていることなので、目新しいことではないけれど。これほど遊びを持った音で語られることは無かった気がするので、ここが今作のいちばん新しいところだと思う。初期3部作の飛び跳ねる音キャラに、『BLUE LIMBO』以降の悪魔な歌詞が乗った感じ?遊び(=あすび)に走ったのは、ストレートに怒るのに疲れた?(笑) (べつに何か言いたいことがあってつくっているわけではない、と、作家はたいがい言うけれど、言いたいことの無い人は、本来ものなどつくらない。)
・「オケの音だけですでに何かを語ってる」感と、「比較的平易な言葉を使用した歌詞」という仕様は、音的歌詞的にあまりにシリアスで重苦しささえあった前作前々作からの揺り戻しということと、もしかしたら、外国でのライブとかアルバムの本格的発売とか、そういうことと関連してるんかしら?と想像したり。米アカデミーの音楽賞の候補の候補(映画『パプリカ』2007年)になったぐらいですからね。世界中の誰かが確実に見て聴いているわけで。多分、この方には遅かれ早かれ、海外からのお仕事発注があるでしょうから。
・今まで出し惜しみしてた、ヒラサワさんの「よいとこ」「美味しいとこ」(ルーツはベンチャーズ。音楽キャリアの出発点はプログレ。実はSF小説家になりたかった。日本の古い歌謡曲が好き。変な音やどこか逸脱した音楽が好き。視覚に訴える音づくりが非常に上手。奇妙なユーモアがある。表現がひねくれてはいるがつまり人柄がよい。etc..)が、これまでになく新旧とり混ぜて大放出なアルバム。よくやったぞ!という感じ。この調子でどんどん引き出しあけて、色んな要素を色んなさじ加減で混ぜて、よいものをつくっていただきたい。(でも、この幸せ路線が続くとも思えないので、次は地獄見せられるかもしれない。ま、そういう人だしな。)
・このアルバムは「Vanitasヴァニタス(虚栄)」だあ!(ただし、わずか1パーセントの希望を含んだ)
「Vanitasヴァニタス(虚栄)」=旧約聖書の「伝道の書(コヘレトの言葉)」冒頭の一節のラテン語「ヴァニタス・ヴァニタートゥム Vanitas Vanitatum」に由来。生のはかなさ、現世の虚しさなど、具体的な図像をもって表現する絵画形式。ペストの流行や戦争が頻発した17世紀にオランダで発展。時間の虚しさ=砂時計・懐中時計・ろうそく、権力の虚しさ=冠・杖、人生の虚ろさ=ひっくりかえされた杯・倒れた水差し、金や富の虚しさ=宝石・財布・硬貨、現世の虚しさ=地球儀、儚いものの虚しさ=煙・シャボン玉、知識の虚しさ=書物、死に対する無力さ=剣・頭蓋骨(「メメント・モリ(死を思え)」の意)、など、描かれるすべてのものがネガティヴな意味をもつ。
(私の絵も実はヴァニタスの要素が満々ある。自分でも意識している。しばしば「暗い」「重い」と言われるのはこのせい。多分。)
・これまで以上の「聴き易さ」に「なんだフツーになっちゃって!」と、物足りなさを感じている人には、「これがフツーだと感じるあなたの感覚がすでにヒラサワによって洗脳されてると思いたまえ。」と言っておきましょう。このアルバムも世の中的に見るとぜんぜんフツーではないよ。まずはよーく歌詞を読むがよろし。使われている語彙が簡単だから表現されてる内容も軽い、なんて思うのは甘い!(このおぢさんがそんな分かりやすいもの作るわけがない)
・映画『不思議惑星キン・ザ・ザ』(1986年旧ソ連)を見ていただくと、『点呼する惑星』を何割増しかで楽しんでいただけると思います。あとお薦めは、『マトリックス1』『未来世紀ブラジル』『バロン』『惑星ソラリス』。あれ?私もけっこうSF好きみたい。でも、ギリアムだったら、『ローズ・イン・タイドランド』(2005)の方が「点呼する惑星」っぽいな。笑えてしかもゾッとするという意味で。(注:映画からアルバムへの直接的な引用等は一切ございません。)
・とにかく不思議な肯定感に包まれた音の、奇妙に幸せなアルバムの最後の最後、「10.Astoro-Ho!帰還」で、聴く者を奈落に突き落として終わるのは、やっぱりヒラサワさんだからな、しょうがないな、という感想(笑)願わくは、この曲の歌詞が今回のアルバムのために書かれたストーリーの、結末ではありませんように・・・(-人-)
・さいごに・・・
人は、いくつになっても前に進んでいけるものなんだな、ということを、改めて知らしめてもらった気がする。長く生きればその分自分の中の引き出しは増えていき、それを使って色んなものをつくることが出来る。私も、自分のもってるよいものを大事に、それを総動員して、惜しみなくよい作品をつくろうと思う。頑張ろうと思う。
・なんか、マトモに「よい!」と書き過ぎたなと、出戻ってきました。あの。基本的にヒラサワさんの楽曲はどれも、ものすごいバカバカしさと胡散臭さとゾッとする恐ろしさが三つどもえに共存していて、そんな手放しに爽快なもんではないということは、押さえておかないといけません。そういう、「毒が盛られてないとどうにも落ち着かなくてしょうがない」人のための音楽。つまり太陽燦々な○ィズニーランドが苦手な人のための、『悪魔が経営するテーマパーク』(=たまにパークを大嵐が襲い客もろとも押し流されたり、入場者がパーク内で行方不明になって消えるのが日常のようなとこ)。でも、今回は歌詞はともかく音が遊んでて奇妙に楽しいので、ある意味救いはまだある方。前作「白虎野」のストレートな恐さに比して。まあ、うまいこと騙されてるだけなんでしょうけどね。
・鏡の門に映る自分自身に激突し恐怖し、自分の描いた狭い地図の中をぐるぐる回り、つまりは意味なんて無い雲の形状変化に意味を見出し一喜一憂し、真実を装ったヤラセにはきっちり単純反応、自分の及ぶ範囲で限られた夢を見るしかなく、おまけに天地逆さまになってる世界、こんな現状!でも、こんな悪魔なやり方だけど、この人の音楽は、「まあ私らはなんて大変な時代に生きてるんだろう!」と、ちゃんと現状認識させてくれる。ただ無責任に「がんばれ!」「だいじょうぶ!」「明日があるさ!」とは言わない。だって、現実は「だいじょうぶじゃない」し、「がんばるのも限界」だし、「明日などあてににできない」んだから。こんな風に現実を突きつけられつつさらに「聴いているあなたは誰か?」という問いがなされている。聴く方はしんどい。でもこういう音楽も、世の中には在ってよい。と、思う。
・...とまあ、色々コーフンして書き連ねてきたワケですが・・・。音の賑やかしさ楽しさに、まんまと騙されておりましたが・・・。聴けば聴くほど・・・このアルバムは・・・『BLUE LIMBO2』であり、『ビストロン2』であり、『白虎野2』であり、この延長線上なんだってことで・・・キャー!>*0*<!
つまり、『点呼する惑星』は、前3作にも増して、ものすごおぉぉ〜〜〜く、嫌あぁぁ〜〜〜な、「陰惨な空気」を背中いっぱいに背負ってるんだってことに、どんどん気づかされていく今日このごろ。
何が「爽やか」だよ、何が「疾走感」だよ、オマエの耳は節穴か!と自分にツッコむ日々です。はぁあああああ〜。ションボリ(/_;)
でも、ホント、いいアルバムだと思います。色んな意味で。さすがだと思います。
でも・・・怖すぎるんですよぉ!どうにかしてくれよおぉぉ!!!∫(TOT)∫
・『点呼する惑星』を、なぜ私は怖いと言うかというと、、、
前3作『BLUE LIMBO』『ビストロン』『白虎野』は、「モロ怒り」のアルバムで、歌詞の内容も曲調もどちらも恐ろしかったので、やはり「恐ろしい」ことに違いは無いのですが、この3枚の恐ろしさは「恐ろしいことを恐ろしく歌ったストレートな恐ろしさ」だったので、表現方法としてはまあフツーのやり方だったワケです。歌詞と曲のベクトルが同じだった。
ところが『点呼する惑星』は、とにかく音が楽しい!すごくクリアな良い音だしアレンジは遊んでるしヒラサワさんの声はいいし・・・非の打ち所のない出来!(>▽<)何も考えずに音を楽しんでいる分には、とても心地よい。が・・・・!一旦歌詞に神経が行ってしまうと、これがまったく逆の方向に、ものすごい力でネガティヴに反転させられてしまう。さっきまで横で笑ってた人に、気が付いたらナイフで刺されてた、みたいな感じ。「恐ろしいことが、まるで鼻歌のように、フンフンフ〜ン♪と歌われている!(@_@;)」歌詞の構造自体がそう!否定的な言葉はほんの少ししか出てこないのに、その一言で歌詞全体の意味が反転する。この落差が怖い!!!「歌詞と曲調のベクトルが正反対の曲」が何曲かあって・・・1曲1曲の中に、ものすごいカオスが存在する。正反対のベクトルに引き裂かれた私は、どんな 気持ちで音楽を聴けばいいのかが分からない。気が滅入ってしまう(/_;)今回、唯一「希望」の含有量の多い調和の取れた曲が「09.Phonon Belt」。だからこの曲にホッとする。
「"世界"は恐ろしい」
でも、この恐ろしい世界の中で、私たちは生きていかなければならない。でも具体的にどうすればいいのか分からない。日々淡々と、自分の成すべきことを成すしか・・・もうこれ以上考えるのやめる。鬱になりそうだし、インタラ・ライブ参加したくなくなりそうだから・・・(/_;)
(たかが"変態テクノ民謡アルバム"に、何をそこまで!と思われるでしょうが、このおぢさんは、その音楽に至る過程は非常に怪しいし眉唾でこっけいなんだけど、最終的に導かれる結論があまりに正しすぎるので、参りましたと言うしかないところがある。たかが"変態テクノ民謡音楽家"とは言えない。)
あー!もう!語り尽くした!!
とにかく、これはよいアルバムです。
声に出せ「時さえ怪し」
ヒストリーは瓦解のくず
(04. Mirror Gateより)
なんでもかんでも鵜呑みにせず、自分のアタマで考えろ!
まあ、そういうことです!(^_^)
怖いものに興味のある人は、ぜひとも聴くべし!
私の戯れ言などには影響されぬように!

ウラジャケ。
ナント可憐な54歳!
多分、色はグレーでなければ「赤」ですね。
真紅のマフラー。
(フリース・マフラーにモロモロと付着してる生活感満々な「毛玉」が、今、世間ではホットな話題となっておりますです!私物なのね?)
..................................................................
ええと。次はコメントにお返事コーナー。
T.haradaさん
コメントありがとうございます。
まだ土づくりの段階なので、余裕で構えてますが、発芽処理が終わる頃からまたうるさく騒ぎ始めると思います。まあ、見ていてください。T.haradaさんの方もうまくいくといいですね!
ところで3番目の土ですか。1番目と2番目は何でしたっけ???
やまさん
今年も始まってしまいましたねー!
去年はやまさんちのサイトに次々とアップされる美しいロータスさんの写真を眺めながら、「くぅうううーーー!」と臍をかんでいた私ですが、今年こそ!の思いでおります。赤玉土はけっこう使っている方多いですよね?案外成功するんじゃないかと、期待してます。
とりあえず土づくりと、レンコンの到着を待つ日々ですね!
*************************
さて、4月のインタラクティヴ・ライヴ 3Daysの予約も済んだし。
あとは上京までに出来る仕事をどんどん進めておいて、
心おきなくインタラを楽しめるようにと!
もちろん、絵は進んでおりますよ!
私は今『点呼する惑星』と共にあるからして♪
(^_^)・・・本年は誠、希望に富むよい年周りであることよ!
さらにいろいろなことがリンクして、よい連鎖があるように!!!
そして、本日も長々とお付き合いいただいた皆様方、お疲れさまでした!
ではまた。
合掌 (-人-)
××××××××××××××××××××××××××
更なる追記。でもこれで終わり!ホントに終わり!
いつまでやっても、きりが無い。日常生活に支障をきたす。
!!!!!!!! 注意 !!!!!!!!
あの〜・・。とても方向が怪しいので、
こっから先は相当「怪しい!」と知ってお読み下さい。
・邪道な付け足し又は個人的な覚え書き
(アルバムを聴いていて気になった語句を検索し、まとめたもの。この考え方が正しいとか、私の思想がこうである、といったものではありません。もう少し他にも調べたけど、度を超して怪しいことは載せませんでした。事実と虚構が混じってます。物語の材料を推理する参考として調べただけなので、あなたの思想信条とは違っててもクレーム付けないでね。)
「Babylon」(バビロン)ー紀元前3000年頃より歴史に登場した都市。シュメール文明とアッカドを征服して、後にアッシリアの支配を受けた、バビロニア王国(Babylonia)の首都。名の語義はアッカド語のバビリムBab-ilim(神の門)に由来。現在のバグダッドの南方90km、ユーフラテス川中流の河畔に位置していた。旧約聖書創世記ではバベルと表記され、バベルの塔の伝承にて混乱(バラル)を語源とすると伝える。「バビロン」という名は、現在、繁栄にともなう堕落と退廃、没落の象徴として使われることがある。
「Babylonia(バビロニア)」ーバビロニアは、メソポタミア(現在のイラク)南部を占める地域、またはそこに興った王国(帝国)。首都はバビロン。
「バベルの塔」ーTower of Babelは旧約聖書の「創世記」中に登場する巨大な塔。保守的なキリスト教会以外では史実ではなく伝説上の話とされる。 古代メソポタミアの中心都市であったバビロン(アッカド語で「神の門」の意味)にあったといわれ、古代メソポタミアに多くみられたジッグラトという階段状の建造物だとも言われる。バベルの塔の記事は旧約聖書の「創世記」11章にあらわれる。位置的にはノアの物語のあとでアブラハムの物語の前に置かれている。実現不可能な天に届く塔を建設しようとして、崩れてしまったといわれることにちなんで、空想的で実現不可能な計画は「バベルの塔」ともいわれる。
「バビロン捕囚」ー紀元前597年、新バビロニアの王ネブカドネザル2世により、ユダ王国のユダヤ人たち約3,000人が、エルサレムからバビロンを初めとしたバビロニア地方へ捕虜として連行され移住させられ、ユダヤ王エホヤキムは殺害された。さらに王族やエルサレム市内の若者や職人たちのすべてがバビロンに連行された。
「Palestina」(パレスチナ)ー語義は「ペリシテ人の土地」の意。歴史的には、現代の国家でおおよそイスラエルとパレスチナ自治区、ヨルダンのうち東部の砂漠地域以外、レバノンとシリアの一部を指す。第二次世界大戦後は、より狭く、ヨルダン川より西の、現在のイスラエルとパレスチナ自治区を指すことが多い。中世以降の主要な住民はアラビア語を日常語とするムスリム(イスラム教徒)、キリスト教徒、ユダヤ教徒(ミズラヒム)である。前2者とごくわずかのミズラヒムが、近代以降世界各地から入植してきたユダヤ人に対して、アラブ人とされパレスチナ人と呼ばれる。
「Jerusalem」(エルサレム)ー語義はヘブライ語で「イール・シャローム(平和の町)」を意味するという説、アラビア語で「神聖、崇拝」「聖なる家」を意味する説などあり。古代イスラエル・ユダ王国の首都。現「東エルサレム」は=旧市街(Old City)と呼ばれ、ユダヤ教・イスラム教・キリスト教の聖地。現代はイスラエルが実効支配している都市で、イスラエルが首都だと主張しているが、国際的には認められていない。
「嘆きの壁」ー現東エルサレムにある、ユダヤ教の聖地。紀元前20年、ユダヤを統治していたヘロデ大王が大規模改築した「エルサレム神殿」の遺構。70年、ローマ帝国支配に反感をもったユダヤ人による反乱(=ユダヤ戦争)が起こった際、ローマ帝国による鎮圧により、エルサレム神殿は焼失。西壁のみが残った。
「聖墳墓教会」ー現東エルサレムにある、キリスト教の聖地。キリストの墓とされる場所に建つ教会。キリストが磔刑に処されたゴルゴタの丘はこの場所にあったとされる。
「岩のドーム」ー現東エルサレムにある、イスラム教の聖地。692年に完成した。かつてのエルサレム神殿内にあり、イスラム教の教祖・ムハンマドが一夜のうちに昇天する旅(ミウラージュ=ムハンマドが、神の意志により「聖なるモスク」、マッカ(メッカ)のカアバ神殿から一夜のうちに「遠隔の礼拝堂」すなわちエルサレム神殿までの旅をした)を体験した場所である。また、神が予言者アブラハムの信仰を試そうとして息子イサクをささげものとして供えるよう求め、アブラハムは神の意に従いイサクを犠牲にしようとした「聖なる岩」のある場所でもある。
「アブラハム」ーユダヤ教・キリスト教・イスラム教を信じるいわゆる聖典の民の始祖。アブラハムは、ノアの洪水後、神による人類救済の出発点として選ばれ祝福された最初の預言者。「信仰の父」とも呼ばれる。
「聖なる岩」ー「聖なる岩」は、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の「信仰の父」とも呼ばれるアブラハムが、息子のイサクを神のために捧げようとした台であるともされるため、イスラム教だけでなく、キリスト教、ユダヤ教も、聖地であると主張している。アブラハムが今まさにイサクを手にかけん!とするこの場面は、はるか昔から繰り返し、宗教美術の主題として描かれている。つまり、各宗教において、最重要場面。
「ベツレヘムの星」ー東方の三博士がこの星に導かれ、「ユダヤの王となられる方」を拝みに、エルサレムを経てベツレヘムに至った。イエスの父となるヨセフはマリアを伴い、戸籍申請のため彼の生地ベツレヘムを訪れていた。そのベツレヘムの粗末な馬小屋で、イエスは誕生した。
「大ヘロデ王」ー紀元前37年 - 紀元前4年、ローマ帝国と協調しつつ、ユダヤを統治した王。ベツレヘムの星を見て救世主の誕生を知ったヘロデ王は、救世主を拝むためにやってきた東方三博士より「新たな王(救世主)」の誕生の予言を聞いた。自らの地位を脅かされることを恐れた王は、ベツレヘムにいた二歳以下のすべての幼児を虐殺させたため、イエスと両親はエジプトに避難した(=「エジプト逃避」)。ヘロデ王はエルサレム神殿の大改築を行った。猜疑心が強く身内を含む多くの人間を殺害した。
「メシア(救世主)」ーユダヤ発祥の概念。
紀元前597年のバビロン捕囚以後、救世主(メシア)待望が強まると、「イスラエルを救うメシアはダビデ(=古代イスラエルの2代目の王)の子孫から出る」と信じられるようになった。しかし、ユダヤ人はバビロン捕囚で国を失い、数十年後にユダヤに帰国してからは王制をとらなかったので、ローマ帝国の属国となりイエスの産まれる直前の紀元前1世紀のユダヤには、王は存在せず、預言者ダビデの子孫がどこに居るか分からなくなっていた。当時のユダヤでは、誰がダビデ王の血筋を引いているか不明だったので、逆に『誰でもダビデ王の子孫を名乗り救世主として行動する』機会が平等にあった。
・キリスト教では、イエスをキリスト(メシア、救世主)としている。新約聖書では、イエス・キリストはしばしば「ダビデの子」と言及される。
・ユダヤ教徒はイエスをメシア(キリスト、救世主)と認めていない。
・イスラム教徒もまた、イエスを最後の預言者ムハンマド以前の預言者の一人とし、救世主と認めていない。
・仏教では「救世主」は、釈迦族のゴータマ・シッダールタが悟り仏陀となった状態か、修行中の弥勒を指す。ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒の考える救世主とは特に一致しない。
「最後の審判」ーキリスト教などにおいて、世界の終わりに人々が裁かれること。キリスト教では、世界の終わりにイエス・キリストが再臨し、あらゆる死者をよみがえらせて裁きを行い、永遠の生命を与えられる者と地獄へ墜ちる者とに分けるという。主に新約聖書のヨハネの黙示録に記述されている。 これはユダヤ教からキリスト教・イスラム教に引き継がれ、これら3つの宗教において重要な教義となっている。
「エルサレムの門」ーエルサレム旧市街を取り囲む城壁には、いくつもの門がある。そのうち唯一閉ざされた「黄金門」は、ユダヤ教においては、世界の終末の日、救世主(メシア)によって開け放たれる門とされている。イエスはこの門からエルサレムに入城したとされている。
「ダビデの星」ー「ダビデの星ー六芒星(Hexagram)」は、正三角形(△)と逆三角形(▽)を組み合わせた図形。「六芒星」は、一般に「ダビデの星」「ユダヤの星」「ソロモンの封印」「清明紋」とも呼ばれていますが、「ダビテの星」がユダヤ人のマークとして一般に使われるようになったのは17世紀になってからと比較的最近のことと言われています。「六芒星」は、陰と陽、光と闇、プラスとマイナス、上昇と下降、柔と剛、火と水、創造と破壊、拡張と収縮、右回転と左回転、顕在意識と潜在意識、男性性と女性性…、といった相対するエネルギーの象徴であり、この2つの三角形(△と▽)が合体した「六芒星」は、「相対するエネルギーの調和」という意味合いを明確に表現しています。西洋では古くから「魔除けのシンボル」として使われ、錬金術においては、この図形は「真の知恵」を授けてくれる「賢者の石」を象徴しています。「六角形」は、大自然界の秩序に適合した形(力学的構造)で、最も安定した力(パワー)を発揮するともいわれています。「六角形(六角柱)」を並べた構造はとても強く、「ハニカム構造」と呼ばれて新幹線や飛行機などの構造体にも使われています。※ 「ハニカム」とは英語で「蜂の巣」という意味。
「シオニズム」ー1894年、ユダヤ人への冤罪であるドレフュス事件を取材していたオーストリア人記者ヘルツルは、社会のユダヤ人に対する差別・偏見を目の当たりにしたことから、ユダヤ人国家建設を目的とするシオニズム思想(「シオンの丘」への帰還)を提唱。ユダヤ人自ら国家を建設し諸外国に承認させることを訴える。そして1897年バーゼルで第1回シオニスト会議を主宰。後にヘルツルは建国の父といわれる。1917年にイギリス外相が「パレスチナにおけるユダヤ人居住地の建設とその支援」を約束したバルフォア宣言が出される。1947年に国連によるパレスチナ分割決議を経て、1948年にイスラエルが建国され、ユダヤ国家が誕生した。
「チャールズ・ダーウィン」ーチャールズ・ロバート・ダーウィン(Charles Robert Darwin, 1809年2月12日 - 1882年4月19日)はイギリスの自然科学者。 「種の起源」の著者。全ての生物種が共通の祖先から長い時間をかけて、彼が自然選択と呼んだプロセスを通して進化したことを明らかにした。進化の事実は存命中に科学界と一般大衆に受け入れられた一方で、自然選択の理論が進化の主要な原動力と見なされるようになったのは1930年代であり、自然選択説は現在でも進化生物学の基盤の一つである。また彼の科学的な発見は修正を施されながら生物多様性に一貫した理論的説明を与え、現代生物学の基盤をなしている。元来信仰心が薄かったダーウィンは長女の死後「死は神や罪とは関係なく、自然現象の一つである」と確信した。
「アイザック・ニュートン」ー1642年12月25日 - 1727年3月20日、グレゴリオ暦:1643年1月4日 - 1727年3月31日[1])はイングランドの科学者。(古典)力学を確立し近代物理学の祖となる。また数学において極めて大きな業績を残した。ニュートンは、地球と天体の運動を初めて実験的に示し、太陽系の構造について言及した。また、ケプラーの惑星運動法則を力学的に解明した一人であり、天体の軌道が楕円、双曲線、放物線に分かれることを示した。また、「光の粒子説」を唱えたことでも知られている。また、白色光がプリズム混合色であるとして色とスペクトルの関係について唱えた。虹の色数を7色だとしたのも彼である。ニュートンはカトリック教徒であったが、ユニテリアンやアリウス派に似た信仰を持っていた。キリストを父なる神と同等同質とせず、普通の人間とみなし、三位一体をキリスト教のものではないとみなした。1696年にはかつての教え子からの推薦で造幣局長官にもなっていた。局に勤めてからは錬金術に没頭し一切の科学的研究を行っていない。晩年のニュートンは、聖書研究や錬金術の実験などに没頭していたことがわかったため、後世に「神学者」「最後の錬金術師」と呼ばれる場合もある。彼の業績は1696年までの53年間に発表されたものである。
「錬金術」ー最も狭義には、化学的手段を用いて卑金属から貴金属(特に金)を精錬しようとする試みのこと。 広義では、金属に限らず様々な物質や、人間の肉体や魂をも対象として、それらをより完全な存在に錬成する試みを指す。一般によく知られた錬金術とは、物質をより完全な存在に変える賢者の石を創る技術のことをいう。この賢者の石を用いれば、卑金属を金などの貴金属に変える事ができるという。なお、一般的には金への物質変成など「利殖」のイメージが強い錬金術ではあるが、本来は「万物融解液」により、物質よりその性質(例えれば金が金であるという性質)を具現化させている「精」(エリクシール)を解放し「精」の性質を得ようとするのがその根元的な目的であり(金のエリクシールは過程であって目的ではない)、生命の根元たる「生命のエリクシール」への到達こそが錬金術の究極の目的である。 「生命のエリクシール」は人体を永遠不滅に変えて不老不死を得る事ができるとされ、この場合は霊薬、エリクサーとも呼ばれる(なお、賢者の石が文献上に記述されるのはエリクサーよりかなり後である)。錬金術の試行の過程で、硫酸・硝酸・塩酸など、現在の化学薬品の発見が多くなされ、実験道具が発明された。その成果は現在の化学 (Chemistry) にも引き継がれている。
「ユニテリアン主義」ーユニテリアン主義(英語:Unitarianism)とは、歴史的定義としては、キリスト教で伝統的に用いられてきた三位一体(父と子と聖霊)の教理を否定し、神の唯一性を絶対的に強調する主義のことをいう。歴史的には、ユニテリアンはイエス・キリストを宗教指導者としては認めつつも、その神としての超越性は否定する。ユニテリアンはかつては自由思想家や非国教徒として位置付けられ、また合理主義やヒューマニズムの思想を発展させたという説もある。
「ダイヤモンド」ーダイヤモンドはマントル起源の火成岩であるキンバーライトに含まれる。キンバーライトは古い地質構造が保存されている場所にしか存在しないと言われている。その生産は、ロシア (22.8%)、ボツワナ (19.9%)、コンゴ民主共和国 (18.0%)、オーストラリア (13.2%)、南アフリカ共和国 (9.3%)、カナダ (8.1%) だけで、世界シェアの90%を占める。現在全世界で宝飾品として使われる小型ダイヤの約80%はイスラエルで研磨加工されたもの。紛争地で採掘され密売されるダイヤモンドは、反政府組織の財源となり紛争の拡大、長期化の原因となるため、国際的に取引を禁止する動きがある。
「投資」ー投資(とうし)とは、主に経済において、将来的に資本(生産能力)を増加させるために、現在の資本を投じる活動を指す。どのような形態の投資も、不確実性(リスク)が伴う。一般に、投資による期待収益率が高い場合、不確実性(リスク)も高まる。この一般則に反する取引が可能な場合、裁定取引が行われ、収益率の低下またはリスクの増大が起こる。朝鮮語では「投資=トゥジャ」と発音される。(←日韓辞書にて確認済。インタラのヒントになるか?)
「スマトラ島沖地震 インド洋大津波」ー2004年12月26日、インドネシア西部時間午前7時58分50秒(日本時間午前9時58分)にインドネシア西部、スマトラ島北西沖のインド洋で発生したマグニチュード 9.3 の地震。9.3という数値はモーメントマグニチュード (Mw) であり、例えば兵庫県南部地震 (Mw6.9) の約4,000倍、2003年十勝沖地震 (Mw8.0-8.1) の約40倍に相当するエネルギーである。平均で高さ10mに達する津波が数回、インド洋沿岸に押し寄せた(地形によっては34mに達した場所もあった)。インドネシアのみならず、インド洋沿岸のインド、スリランカ、タイ王国、マレーシア、東アフリカ等でも被害が発生した。 タイ王国では、リゾート地として知られるプーケット島など、タイ南部6県のアンダマン海に面する地域(プーケット県、パンガー県、クラビー県、トラン県、サトゥーン県、ラノーン県)に大きな被害が出た。現地での死者は5,305人、怪我人は8,457人と報じられている。
××××××××××××××××××××××××××
これで本当に最後の更新。(2009年3月15日)
最近のコメント