今日は雨、他 ― 2007年12月22日 19時43分52秒
あ"−−−−−−−−−−−−−っ!!!
今日は雨。
でもって、今日の記事は、思いがけず大作になってしまいました。
3本立てです。
読み始める前に、トイレ行って、お茶でも入れてきてください。
準備オッケー?
ではどうぞ!
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キャンバス張っただよ〜
7つ道具をそろえて、
「よし、キャンバス張り!」と思って、始めたところ・・・
あの。おたすけセブンがちっとも私を助けてくれないことが発覚。
なんとなれば、今回張ろうとしている木枠の厚みが、
おたすけセブンのクリップ部分の幅より狭くてゆるゆるで、
キャンバスを仮止めすることができないから!
こんなん有りかい!
それでも何とかならんもんかと考えたけど、
どうにもならん!と結論。
仕方なく、釘を木枠裏に打つことを断念。
いつもどおり、枠の側面に打ち込みました。
うーーーーーーー。
悔しい。
今度こそ、横から釘の頭が見えない美しいキャンバスを張りたかったのに・・・
こりゃ、一生ムリだ。
ガン式のステープラー(工事現場で使ってるような巨大ホッチキス)でも
買ってこない限り、ムリ。
・・・・へっ
キャンバスは普通に張れました。
これが来年の個展前に描く予定の、最後の1枚となります。
でも、まだその他が1枚も完成してないって、誰か知ってたー???
さー。これからが勝負。
そろそろ、カラー・タイマー点滅がしております。
ぴっこん ぴっこん ぴっこん ぴっ・・・・ボンッ!(爆)
・・あ、壊れた・・・
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と、ちょっとガッカリしてる雨の午後、本が届きました。
『ひかり屋 松本衆司詩集』
編集工房ノア Tel. 06-6373-3641
定価:本体2000円+税 ISBN978-4-89271-638-6
松本衆司さんは、私が絵から逃避して半分ひきこもっていた頃、
大阪文学学校の詩の夜間クラスでお世話になっていた、当時のチューターです。
(現在、大阪文学学校でクラスは持っておられません。)
そして、『メイプル』(=すでに解散)という同人詩誌でもご一緒していました。
他の人よりもやや長編の詩を書いていた私は、
「先生、原稿はこれ以上短くできません!」と言い張り、
「じぇいさん、これでは誌面に入らないよ!」
と、編集していただいていた松本先生を、困らせておりました。
(なんてナマイキな奴だったんでしょう!!!!!)
その、私のいわば「詩の師匠」の、最新詩集です。
すぐに開けて一気に読みました。
うん。
よかった・・・。
どこがどう良かったとか、どの部分がとかはさておき、
全体を見渡して感じる景色が、とてもとても、良かった。
落ち着いた、とても良い空気が流れている、といった印象。
今の世の中、こういう景色を心に見ることが必要なんです。
松本先生には、現在されている同人誌を毎号送っていただいているので、
その中で読んだ詩も半分以上入っているのに、
(「メイプル」に載せた作品もたくさん入っているのに!)
こうやって詩集として編集し直されると、まったく違う作品に見えます。
今までの作品をまとめて載せました、というだけの詩集ではありません。
やっぱり、『詩集』はこうでなくては!!
ということで、とりあえず宣伝だけさせていただきました。
先生、ちゃんとお返事書きますから、少しお待ち下さい。
私、今日久しぶりに筋肉使ってキャンバス張ったので、
両腕が微妙に震えてて、手の自由が利きません。
うううううううう{{ (>_<) }}
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12月22日号特別付録:『私がプチ引きこもりだった頃』
『何をやっとるんだ、ワタシは?』。
最近はそう思うんです、絵を描いていると。
昔、もうちょっと若い頃は、
「お!ここ、決まったーーーっっ!」
「うわ、何このドヘタクソが!!!」
「・・・私、天才っっっっ!」
などなど、一喜一憂しながらやってたんですけど、
トシを取るに従って、そういうの、無くなってきて、
まるで毎晩風呂掃除する時みたいに、淡々と、なんか、
「浴槽の汚れをタワシで丹念に擦って落とす」みたいな気分で、
絵を描くようになってきた。
まあ、それだけ、描く前に色んなことが消化されてて、
迷いが無いっちゃあ、迷いが無いってことなんですけど。
バカみたいな話ですが・・・
もっともっと若い頃、私は、
『いっぱい努力して、良い絵を描けるようになったら、
私だって幸せになれるに違いない!』
そう信じていたのでした。
『幸せになれる』っていうのは、ホントに世間一般的に、
「お金が儲かる」とか「褒めてもらえる」とか「人に好かれる」とか、
そういうものが、全部、手に入ると思ってたんですよね。
なんでそんな風に思ったか、根拠なんて何も無いんですけど。
アホタン承知ですが、信じておりました。
それが、『何かちがう!』と気が付いたのは、、、
今から10数年前のこと。
(嗚呼!遅すぎる!遅すぎるのだ!)
私は私なりに一生懸命やったつもりでも、
ちっともお金は儲からないし、人と仲良くもなれないし、
自分自身も絵も褒めてもらえないし・・・
褒めてもらえるどころか、
「いつまでそんなムダなことやってるんだ?」
「そんな絵描いて、一体何がやりたいんだ?」
「これからどうやって生きていくつもりなんだ?」
と、色々厳しい意見を突きつけられる一方となり・・・・
そこで初めて私は、『間違ったことを信じていた!』、
ということを、自ら認めたのでした。
・・・愕然としましたねー(笑)
『このままこれやってても、アカンねん・・・』
そう分かったから、だからって、
今さら他のことなんか出来ないわけで。
もう、何もかもイヤになって、絵も仕事もやめて、
その頃から約4年間、半分引きこもりました。
その間年に2回デパートの繁忙期バイトに出てたけど、絵は1枚も描かなかった。
その代わり、詩を書いてました。
その当時通っていたのが、上にも書いた「大阪文学学校」です。
(小説家・田辺聖子さんの出身校としても知られています。)
絵もダメ、仕事もダメ。
でも、どこか別の新しい世界へ行かなければ・・・
藁にもすがる思いで大阪文学学校を見つけ、自分から出かけて行きました。
すごい勇気が要りましたよ(笑)
そこで、詩を書いている他の生徒さんとも知り合えたし、
同人誌にも参加したし、イベントや朗読会をやったりもしたし・・
それに、先生も生徒さんも全員、褒め上手だったから、
今まで絵ではロクに褒められたことなんか無かった私は、
めちゃめちゃ嬉しくて、どんどん詩を書いてましたね。
だって、書いて持っていったら、ほぼ必ず褒めてくれるんだから!
「激励こそ最良のメンテナンスである」(「夢みる機械」平沢進)
「愛情と好意のワクチンを 卑屈好むヴィールスへ」(「ヴィールス」ヤプーズ)
そのとーり!!
あの時あの学校に行っていなければ、今どうなっていたか。。。
今でも詩集や同人誌を送ってくれる皆さんに、感謝。
文学学校のクラスに週一回出かけていく以外では、
今は亡きおばあちゃん×2人の認知症がひどくなってきて、
その相手や、ちょこっと世話なんかしつつ、過ごしてましたね。
まあ、その後徐々に立ち直って、社会復帰(?)したワケですが。
現在の私の絵は、
その約4年の半引きこもり明けから描き始めた、延長にあります。
4年弱ブランクがあって、再び描き始めて、10年以上が過ぎました。
もうすっかり、どんなに絵を描いて発表しても、
『幸せ』になんかなれないと、分かってしまっているけど、
でもやっぱり、他にできることは無いし、
「浴槽の汚れをタワシで丹念に擦って落とす」みたいな、
「何をやっとるんだ、ワタシは?」みたいな、
やってもやらなくても、どうでもいいようなことだけど、
ただ、淡々とやってる。
でも、ギリギリだけど収入があって、自分なりに絵も描けて・・・
こういう今の生活こそを、
『幸せ』
と、呼んで良いような気もする、今日この頃。
わはは。トシとったなーーーーー(^_^;)
ということで、以上。
12月22日号特別付録:『私がプチ引きこもりだった頃』
でした。
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またねー(^_^)/
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