智積院と長谷川等伯展2010年05月04日 16時04分41秒


 
皆様こんにちはです。
 
連休まっただ中ですね!
 
楽しんでおられますか?
 
 
 
私は遊びに行くあても無く、ずっと家におります。
 
徒歩や自転車で近場にぶらっと出かけてはおりますが・・・
 
 
あ!前回の記事に書いたとおり、『長谷川等伯展』を見て来ましたよ!
 
んじゃあその感想など少し・・・。
 
 
 
 
 
*   *   *
 
 
 
 
「長谷川等伯」について、私はまったく詳しい者ではありません。
 
もちろん等伯ファンでも何でもありません。
 
今回の展覧会は、実はタダ券をもらったのと、
 
「みんなで一緒に行きましょうよ!」とお声かけていただいたので、
 
普段なら重くてびくともしない腰が上がって行きました。
 
 
まず京都国立博物館に行ったら110分待ちとかで、
 
「こりゃ後で来た方がよい」と皆で判断。
 
すぐ近くの『智積院』(ちしゃくいん)へ。
 
 
 
chisyakuin_tohaku
 
 
智積院はほぼガラガラ状態で、すごくゆっくり見ることが出来ました。
 
 
実は恥ずかしいことに、そういう知識が私には無かったんですが、
 
今回の『長谷川等伯展』の目玉のひとつ、『楓図』『松に秋草図』は、ここの所蔵です。
 
もちろん、会期中は両方とも博物館で展示されているので、智積院では見られません。
 
が、智積院には『桜図』(等伯の息子・久蔵作)が残っていました。
 
この『桜図』というの、とても良かった・・・。
 
久蔵は等伯の長男で、画才に恵まれ、長谷川派の跡継と期待されながら、
 
26歳の若さで没した方です。
 
(長谷川派の勢いに危機感を覚えた狩野派による暗殺という説も)
 
 
『桜図』
 
(上の写真の一番上の作品。詳しくは『智積院』のHPへ。)
 
いわゆる日本画なので、桜花の形状自体は基本パターンの繰り返しで、
 
そういう意味ではそう感心したものではないのですが、
 
写真では分からないですが、桜の花の1つ1つが胡粉を盛り上げて形成されており、
 
奇妙に立体的に造形されていて、「うわー!なにこれ?」と思いました。
 
日本画にはまったく詳しくないので、こういう技法はよくあるんでしょうか?
 
 
(西洋の宗教画「イコン」の背景は、胡粉を盛り上げ薄いレリーフ状の装飾を作り、
 
その上から金箔を張って、黄金背景にすることは普通にありますが。)
 
 
あと・・・なんて言うんでしょう。
 
若干26歳(制作当時はもっと若い)の青年が描いたとは思えない、
 
流麗な感じがしましたね。
 
にもかかわらず、若い絵師の清新な息吹も感じられ・・
 
金箔を張った黄金の背景を、背景としてのみならず、
 
桜の木の枝と花の広がりがまとう、ふわっとした「空気感」として見えるよう、
 
構図が切ってあるところとか、すごく良いですね。
 
ドーンとした力強さや強引な画面構成という面では、お父さんには適いませんが、
 
空間の描き方・解釈という点では、お父さんの『楓図』『松に秋草図』よりも上なのでは?
 
等伯は「前に出てくる」感じで、久蔵は「奥に広がっていく」感じ。
 
久蔵はこの年齢でこの作品。
 
これはこの人は絶対に、父・等伯よりも画才があったはず。
 
優秀な息子に先立たれた父・等伯の落胆ぶりは、想像に難くありません。
 
 
 
・・・というような感想を抱いてから、大混雑のお店で松花堂弁当を食べて、
 
いよいよ「待ち時間70分」の『長谷川等伯展』へ。
 
 
 
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さっきの智積院の静けさとは打って変わって、
 
博物館の中はさながら『長谷川等伯大バーゲン会場!』みたいな。
 
もう入った瞬間ドン引きしましたが、ここまで来たからには、
 
しっかり見て帰らねばなりません。
 
 
 
最初のお部屋はまだ等伯が能登は七尾に住み、
 
仏画絵師として地元で活躍していた頃の作品群。
 
 
あまりこういう意見は見ないけど、私はこの時期の絵に一番驚嘆しました。
 
なにがって!・・・う・・うまい!!!!!(@_@;)
 
なんでこんなうまいの!?
 
いわゆる細密画で、画面は小さいもの〜掛け軸サイズが多く、
 
小さな画面に仏様やら獣やら文様やらが描かれているのですが、
 
その描写のうまさ。特に人物の顔の理知的なことと言ったらもう!!
 
人の顔はテクニックだけで描けるものではないので、
 
描かれてある人の知性や徳の高さと同時に、
 
それを描いた等伯自身の知性の高さ鋭さが、人物の顔の表現に現れていて、
 
絵の中でピカッと輝いているのを感じました。
 
甘さの無い、ピリッとした画面。
 
こういう絵はなかなか描けるもんじゃない。
 
この人は相当頭がいい!かなりなキレ者に違いない!!
 
 
そしてもうひとつ。
 
初期の仏画は普通の仏画なのですが、その構図が凡百の仏画とはちょと違う。
 
小さい画面の中に、硬く強ばったように図像を並べるのではなく、
 
動きの流れをうまく呼び込んで、視線が画面の中である流れをもって動くように、
 
きちんと計算されて配置されている。
 
こういう構図の組み方はどうやって勉強したのでしょうね。
 
あと、つたないながらも、遠近法が使われているのにも驚愕!
 
自分で描いていて、描きながら、
 
「あ、こうやったらいいかも!」
 
「こういうのどうかな?」
 
「お、はまった〜!」
 
みたいなことを一人で考えながらやってたのかな。
 
能登の田舎にこういう人がいたら、そりゃあ目立つし評判になるし、
 
誰もが褒め称えるだろうから、「京に上って天下取るぜ!」って気にもなりますわ。
 
(初期作品はコチラで少し見られます→ 七尾美術館HP
 
 
 
このあと、展示は京に出てからの作品が続いたわけですが。
 
目玉であるはずの『楓図』『松に秋草図』『松林図』には、
 
申し訳ないですが、そう心動かされることなく・・・
 
「ほう!」と思ったのは、『大徳寺三玄院旧蔵 四季山水図』。
 
例の、大徳寺の住持・春屋宗園が留守のときを狙って勝手に寺に上がり込み、
 
模様の入った襖紙に、一気呵成に描き上げたという伝説の作品。
 
これは凄かったです。
 
襖に模様が入ってなかったら微妙かも・・・とは思いましたが、
 
模様をしっかり生かして描いているところはさすが、非凡!!
 
薄〜い墨で、しゅっとストロークを走らせて、遠景の山を描いていたり、
 
「お見事!」です。
 
 
 
それから、画風がほんとうに多岐に渡っていて、等伯は、
 
勉強熱心だった。器用だった。賢かった。そして、したたかだった。
 
現代と違って、等伯達絵師にとっては「御用絵師」(西洋で言う宮廷画家みたいなもの)
 
になることが、究極の目標だったから、そのためには、
 
権力者から来る、あらゆる注文に対応しなければならなかったわけで。
 
あくまでも「注文あっての仕事」だったわけで。
 
個性の表現が重要視される、現代の価値観とはまた違うわけで。
 
 
 
 
 
そして、全部見終わっての感想。
 
 
等伯の、絵を描くことに対する気力というのは、一体どこから来たのかと。
 
最初は、郷里で生計を立てるための仕事として作画を始め、
 
京に上り、確実に評価を高めていって、途中まではうまくいっていたのに、
 
息子の死により、私的にも長谷川一門的にも大ショック!
 
でも、そこでへこたれなかった等伯。
 
若くして世を去った息子の魂を弔いたい + 狩野派には負けたくない
 
さらにパワーアップして制作に没頭・・・
 
それで、これだけの絵を後世に残した。
 
 
 
「でもこれ、注文してくれた人がいたから描けたんだし、
 
今も残ってるのよね〜」とも思った。
 
 
あまりこういうことは考える人いないと思うけど、今残ってる国宝とか重文の多くは、
 
主に時の権力者がその当時随一と言われた作家にお金を払って注文して、
 
なおかつ、重要な施設に設置されていたからこそ、
 
今に伝わっているものなのですよ。
 
 
でも、現代はどうでしょう。
 
今我々が目にしている作品のうち、なにが残っていくんでしょうね?
 
どれも残らない気がしてならないんですけど・・・
 
『長谷川等伯展』を見終わって、そんなことを考えました。
 
 
 
しかし、久蔵さんはホント、惜しかったねえ。
 
彼が長生きしていたら、狩野派と長谷川派が途中で立場が入れ替わっていたかもよ。
 
日本美術史が書き換えられてたかも。
 
 
 
 
 
 
 
え〜。そういうわけで。
 
やはり絵は本物を見ないと分からないですね!
 
でも、あんな人だらけのバーゲン会場はもう嫌だーーーっっっ!!(`へ´)
 
以上、感想でした。
 
お粗末さまでした!!
 
 
 
 
 
 
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やまさん
 
楽しみにしてくださってありがとうございます!
今年のこの春先の寒さはロータスさんにもこたえてる様子です。
生育状況がかなり悪い予感がします。やれやれ。
やまさんちのロータスさんは調子はいかがですか?
・・で、見ていただいたら分かるのですが、新しい仲間が加わりました!
『Lotusのツボ 6』ご覧下さい!
 
 
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あと、ゴールデンウィーク特別付録。
 
従妹のベトナム土産。『仏像』。
 
「お土産なにがいい?」と聞かれたので、「仏像!」と言ったら、
 
本当に買ってきてくれた(笑)
 
 
butsuzou_vietnam.gif
 
身長約11cm。
 
なむなむ(-人-)
 
 
(この方がどなたかご存じの方は教えてください。)
 
 
 
 
 
 
と、いうことで!
 
『Lotusのツボ Part6』更新しました!!ご覧下さい。
 
 
 
あ、それと、『絵画のツボ』も更新!
 
今年2月のグループ展『thing matter time 2010』(信濃橋画廊/大阪)です。
 
 
 
 
 
じゃ、みなさんお元気で。
 
ごきげんよう。
 
 
 

コメント

_ やま ― 2010年05月05日 11時18分46秒

こんにちは~

ウチの蓮もあんまり調子よくありません。
今年導入のスローカムが浮き葉を出してるぐらいで…
去年からのコたちはもしかしたらお亡くなりかも?

長谷川等伯!去年、NHKの番組で見ました。
http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/3.html
日本美術の知識はぜんぜんありませんが
(西洋美術もそれほどないけど)
同じように権力者に迎合しなきゃ生きていけなかったんですかねぇ
浮世絵とかはどうなんでしょう?
量産できたからこそ、ある程度残ってるのかもしれないですけど…

_ Camide ― 2010年05月09日 00時35分13秒

いや、お恥ずかしい話。僕は毎年、ボローニャ絵本原画展を観に、七尾美術館行っておりますが、長谷川等伯の作品は一度も見ておりません。
石川県ゆかりの大先輩のことは知っておりましたし、あの靄の中の林の絵(なんともシロウトくさいもの言いですが・・)も知ってはおりましたし、好きでありましたが、ただ、全然詳しくもなかったので、こういう機会にあらためて観るというのも貴重なことかと。あっ、でも今日までなのね・・・・。残念。

_ 旅人 ― 2011年04月24日 11時51分10秒

「「長谷川等伯」について、私はまったく詳しい者ではありません。」 」 から始まる文章に、ひきこまれ一気に読み込んでしまいました。わたしパソ音痴で、人さまのブログを覗くことは、滅多にないのですが、日経新聞に連載の、等伯が余りにおもしろく、等伯を検索し、このお部屋に迷い込みました。(笑)   じつは、わたしも等伯の絵は見たこともなかったのに、Jさまの感動が、伝わってきて、いかに素晴らしい作品であったかが、わかったような気がしました。    そして、「あまりこういうことは考える人いないと思うけど、・・・・・・」と、おっしゃってますが、わたしもまさにその通りと感じています。古今東西、美を求める権力者からの、受注があってこそ国宝級芸術品は生産されてきたんですよね。パトロンあっての、文化遺産の形成創造保護なのですが、現代では、それらがのぞめない。Jさまのおっしゃるとおりです。すばらしい作品を前にすると感動で、そんな考えが、頭の中を、ぐるぐる往来しますよね。「描かれてある人の知性や徳の高さと同時に、それを描いた等伯自身の知性の高さ鋭さが、人物の顔の表現に現れていて・・・・・・・」、の一文にわたしは、まさに、Jさまにも同じ感性資質を感じ取り、思わず、コメントさせていただきました。
Jさまも、ただものでは、ありませんね。

わたしも、作品作りでメシ喰っているわけではありませんが、つくることをたのしみとしている者のひとりです。
このような形で、自分のHPを紹介申し上げることは、初めてのことですし、おしつけがましく気が引けるのですが、もし、アンティークドールにもご興味がおありでしたら、ご高覧くださいませ。

bebetabito.web.fc2.com

です。

はじめて、お目にかかって、このような不躾、たいへん失礼しました。

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