『叙情詩』と『叙事詩』2005年11月05日 23時34分45秒

ブログのツボ
 
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昨夜は布団に入るのが遅かったけど、普通に眠れました。
 
でも、今朝は早くに家族の話し声で目が覚めてしまいました。
 
何か気配がすると、すぐ目が覚めるねえ。
 
ぐっすり眠っているという感じじゃない。
 
目が覚めた時点で、すでに肩はこりこりだし、なんとなーく頭が痛いし。
 
けどまあ、眠れていることは確かなので、とりあえず良しとしましょう。
 
 
 
 
 
さて、上の写真は、ヨーコちゃん(=詳しくはここ)の葉っぱ。
 
すっかり枯れたので、ちぎってみました。
 
このまま保存します。
 
もしかしたら、絵のモチーフになるかも。
 
 
 
『ロータスのツボ』は終了したのですが、
 
ヨーコちゃんとヤンくんには、今また新芽が出てきています。
 
レンコンがちゃんと生きている証拠!うれしいことです。
 
(じゃあ、ジョニーは...???(;.;))
 

 
 
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先日有本利夫さんの絵を見た話を書きましたが、
 
その続きを。
 
 
 
私が有本さんとはちがうな〜と思う部分、
 
それはつまり、表現のし方が、『叙情』か『叙事』か、というところではないかと。
 
そして、有本さんの絵は『叙情』の方に入るんだろうな、と。
 
(「ちがーう!有本さんは"音楽"を絵画で表しているんだ!」と言う方。
 
 すんませんが、とりあえず今は私の「文学的」な見方で言わせてね。)
 
 
 
『叙情』:直接相手の心に訴えるように表すこと。
 
『叙事』:事件・事実を客観的に述べしるすこと。
 
 
 
でも、このふたつの言葉だけではまだ不十分です。
 
さらに『叙事詩』という言い方が、
 
私が絵を描く時の感覚に最も近いものだと思う。
 
 
 
『叙事詩』:神話・伝説・古代英雄の事跡・歴史上の事件などを、
      物語のように述べた詩。エピック。
 
(『叙事詩』の対になる言葉として、『叙情詩』がある。)
 
 
 
この『叙事詩』という言葉の意味がおもしろいのは、
 
架空の話であるかもしれない「神話・伝説・古代英雄の事跡」と、
 
歴史的事実である「歴史上の事件」とが同列に置かれて、それらをさらに、
 
「物語のように」(これまた事実じゃなくてもいい!)のべたものであること。
 
まあ言えば、『虚実ないまぜの物事を、お話に仕立てる』ということ。
 
 
 
何をどう描いたらいいのかわからなくなって、絵を離れて詩を書いていた一時期、
 
私は自分の詩は『叙事詩』だと自覚しました。
 
そして、「絵もこんな風に描いたらいいんだ!!」と、発見しました。
 
それでまた、絵に戻ってきたわけです。
 
 
 
私は自分で撮ってきた写真を元に、自分勝手に画面上で風景をねつ造し、
 
絵を作って行きます。
 
一見「リアリズム」と受け取られがちなのですが、まったくの別物です。
 
「なぜ写真を使うのか?」と(揶揄する口調で)聞かれることが多いのですが、
 
これがその理由です。
 
私の描く絵はそもそも、リアリズムじゃないので、
 
目の前にあるものを、見たとおりに描写することには、重要な意味は無いんです。
 
だから写真を使うことに抵抗が無いんです。
 
私の絵を見て「リアルですね」「本物みたいだ」って言う人は、修行が足りません。
 
でも「写真みたいだ」って言う人は正解。だって写真見て描いてるんだもん。
 
(水彩は目で実物を見ながら描くので、油彩とはまた別なんですがね。)
 
 
 
 
以上、「有本利夫さんの絵を見てこんなことを考えました」でした。
 
かなり詭弁ですかな???
 
 
 
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さゆぞうさん。
 
映月楼。もう一度行きたい!!
もう何食べたか忘れたけど、香港で食べたものは全部美味しかったよ。。。
さゆぞうさんに教えてもらった店、全部大当たりやった。
糖朝にも行きたいよ。東京にも出来たそうやけど。
 
沖縄はレンタカー必須かあ。
レンタカーの前に、運転免許が無いからなあ。
沖縄訪問は遠いよ〜(/_;)
 
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さあ、今夜は眠れるかな〜?
 
だいぶ不眠から脱してきたけどな。