鴨居玲2005年11月09日 00時28分28秒

ブログのツボ
 
1982me
 
 
今日の話。
 
 
 
鴨居玲って、どうなんでしょうね?じぇいさん?』
 
 
 
と、いきなり聞かれて、うろたえてしまいました。
 
 
『どうなんでしょうね?』というのは、
 
 
『みんなで展覧会を見に行く企画として』、どうなんでしょうね?という意味。
 
『大勢の人が興味を持つような作家なんでしょうか?』
 
という質問だったわけです。
 
 
 
困った私は、すごく変な答えをしてしまいました。
 
「神戸ゆかりの作家さんだから、ある年齢以上の人なら知ってると思う。」
 
「全国ではすごいメジャーではなかったかもしれないけど、好きな人は好き。」
 
「今で言うと、○○先生みたいな感じかな。」
 
まるで言い訳みたい。
 
 
 
とにかく、客観的な評価を受けている人で、人気もあるよ、みたいなことを、
 
無理矢理言おうとしてしまいました。
 
 
 
なんで私がそんな状態になったかというと、
 
私の中で鴨居玲という人は、すでに好き嫌いを越えて、
 
自分の親戚・肉親みたいな気がするからです。
 
絵が好きとかいう前に、先に身内になってしまっているという、
 
とても奇妙な位置づけの作家さん。
 
もちろん、知り合いではなかったし、今でも特別なファンではありません。
 
 
 
でも、(これはちょっと自慢なんですが)
 
私の母も私も、鴨居先生(呼び捨てだったのがいきなり「先生」って...笑)に
 
絵を見てもらったことがあるのです。
 
母は若き鴨居玲に、洋裁の専門学校で「スタイル画」を。
 
私は大学で「裸婦デッサン」を、亡くなる前年に。
 
私は大学に入る以前に、母が習ったことがあるという話を聞いていたので、
 
それだけで少し身内感があったのが、自分も見てもらって、
 
すっかりお近づき気分になってしまいました。しかも褒められたので(笑)
 
今でも、「鴨居玲が落として行ったパステルのかけら」を大事に持っています。
 
(「それをファンと言うのではないか!」って?かもしれない。)
 
 
「世間的にはどうか知らんけど、自分にとっては偉大な親戚の画家のおじさん」
 
みたいな感じです。
 
(なんと失礼な!!!!!)
 
 
 
とにかく、客観視は無理な感じ。
 
 
 
質問した方は、鴨居玲の絵も何も知らないから、企画に上げるのをためらっていて、
 
「鴨居玲!良いよ〜。多分参加した人はみんな喜んでくれると思う!」
 
と、私に言ってほしかったのかもしれないけど。。。
 
『それにしても、あまりに絵が暗いから、どうしよう...』
 
と、結局迷っておられました。
 
良い返事ができなくて悪かったですが。
 
 
 
 
上の写真。
 
『1982年 私』(石川県立美術館蔵)
 
 
『1982年 私』は、何とも言えない絵です。
 
終末感(画家としての)が漂っていて、見ているこっちまで一緒に、
 
白いキャンバスの前で、途方に暮れてしまいそう。
 
学生時代に見た時、「ああ、これはマズイなあ。。。」と、なんとなく思いました。
 
でも好きな絵です。あまり見たくない絵なんですけど。
 
(今思えば、自分の卒業制作はこの絵に影響を受けていたと思う。)
 
 

 
今年2005年は、鴨居玲没後20年ということで、回顧展が開かれています。
 
石川県立美術館の次が、神戸市立小磯記念美術館
 
次いで、ひろしま美術館、長崎県美術館にも巡回するそうです。
 
 
お近くの方は『1982年 私』に会いに行ってください。
 
 
(「鴨居玲は、芝居がかっててクサくて暗くて嫌い!」という人もいます。念のため。)
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
ということで、Camideさん。
 
本日は鴨居先生ネタでありました。
(長文コメントしてくれていいよ〜笑)
 
本気で鴨居先生に弟子入りしようと考えた人...
神戸の鴨居先生の家のごみ箱を漁りたい衝動を、かろうじて抑えた人...
そんな話も聞いたことがあります。
「カモイライス!」とか言っていた日が懐かしいですなあ。
もう20年だって!!!
 
絵を「でっちあげ」たり「ねつ造」する話は、普通は良く受け取られないので、
カミング・アウトするのにけっこう勇気が要ったりするんですよね。
でも私たち、何の抵抗も無く、最初から当たり前に写真使ってたでしょ。
あれはやっぱり「ハイパー・リアリズム」の流行があったからかね?
 
(おかげさんで、調子は上向きです!)
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 
やー。眠い眠い。これは今日は布団に入ったらすぐ眠れるよ。
 
おやすみなさい。
 
明日は歯医者だ(/_;)
 
 
 
 

こんな日でした2005年11月09日 16時58分14秒

ブログのツボ
 
 
少し前に、昨年亡くなった上司のお参りに行かせてもらいました。
 
 
闘病生活の最後、お見舞いに行けなかったので、それが心残りだったのですが、
 
今回のお参りで、ちゃんと最後の挨拶ができた気がしたので、良かったです。
 
取り返しのつかないことは、するものではありません。
 
つくづく思います。
 
 
 
そんなことを思っていたら、今日も訃報が...。
 
親しくはなかったのですが、以前ちょくちょくお見かけして挨拶だけしていた方。
 
まだ若い方なのに、これからどんどん良い仕事をされるであろう方だったのに。
 
年齢は関係無いのかもしれないけど。
 
 
最近ここに書いたふたりの画家さんも、短い生涯で濃い仕事を残されましたが、
 
(鴨居玲さんは自ら命を絶ったわけですが)
 
なんか、やっぱり、「やるべきことをやり終えてしまった」のかな、と。
 
そう考えないと、「もっと生きられたはずなのに、なんで?」と思ってしまうので。
 
 

 
 
ヨーロッパの古い教会に行くと、床のモザイクや細かい彫刻など、
 
その装飾のすごさに圧倒されるけど、それをつくった職人たちは、
 
たとえば床のモザイクを制作するだけで、一生を終えたり、
 
窓の縁飾りを制作するだけで、一生を終えたり、したのかもしれない。
 
 
 
「自分はこれまで、何をしてきたんかなぁ...」と、思う。
 
 
コツコツと、モザイクの石を細かく割り、床や天井に張りつけるように、
 
自分にとっての床や天井や窓の縁飾りみたいなものを、
 
つくって行くしか無いんだけれど。。。
 
 
 
 
そろそろ、自分で自分のカウント・ダウンを始める年齢かもしれない。
 
後悔の無いようにね。
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 
で、その手始めとして、今日は歯医者さんに行ってきたわけだよ。
 
(なんじゃこの理屈は!笑)
 
 
最後に歯医者さんに行ったのは、3年ほど前。
 
親不知が虫歯になっていて、それを抜いてもらおうと行ったら、
 
ひん曲がって生えていたため、口腔外科でないと抜けないと言われ、
 
そうこうしているうちに、急に忙しくなって、行く機会を逃してしまった。
 
最近、他の歯の詰め物がとれてしまったので、そのついでに、ついに、
 
親不知を抜くことを決心。
 
もちろん、今日行った歯医者さんで抜いてもらうのは無理で、
 
紹介状を書いてもらって、口腔外科に参ります。
 
歯茎を切って、歯を抜いて、縫って、抜糸。ちょっとした手術です。
 
でも、この親不知のおかげで、他の歯まで虫歯になってるので、
 
もっと早くに抜くべきだった...またしても、後悔。
 
 
ということで、今回の歯医者通いでは、てっていてきに、歯を治します。
 
年内に、親不知とはさよならします。
 
 
(私、歯磨きはちゃんとやってるんですけど、ダメなんですよ。歯の質が悪いと思う。)
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 
 
そんなこんなの1日でありました。
 
 
 
ああ、もうすでに眠いぞ。今夜もちゃんと眠れそうだわ。
 
 
 
睡眠を取るのに大事なのは、
 
「自分で何とかしよう」と、なんでもかんでも考えないこと、かも。
 
 
 
歯は、歯医者にしか抜いてもらえないんだしね。。。
 
(また変な理屈。笑)