現実が美しき虚構を生む2006年05月20日 18時11分27秒

ブログのツボ
 
 
 
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眩しき晩春の高く青き空に、
 
鈴なりの枇杷(びわ)の幼実は、日々ふくらむのである...
 
 
今年は豊作だよお母さん。
 
野鳥に先取りされるまい!!
 
死守するぞ!!
 
 
(くどいようですが、私が種から植えました)
 
 
 
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突然ですが。
 
 
 
 
『現実を跳躍させ、捻転させ、美しき虚構を生む』
 
これが、ものをつくる行為の醍醐味でありましょう。
 
 
 
絵を描いていてつくづく思うのは、
 
『私は妄想野郎であり嘘つきである』
 
ということです。
 
 
 
私は通常、現地取材に行って写真を撮り、その写真を元に絵を描きます。
 
が、フォト・リアリズムのように、写真そのものを描き写すことが目的ではありません。
 
(時々写真に引きずられて、フォト・リアリズムもどきになりますが。それは失敗作。)
 
私がそこ(現地)で見た「何か」を描くことが、最も大事だと思うからです。
 
(「何か」とは何なのか?
 
 それは「時間」「空気」「気配」「感情」「記憶」「匂い」「湿度」「温度」
 
 こういった、目に見えないけど確かに有ると感じられるものの存在に近いかと。)
 
写真やモチーフは、その「何か」を乗せて、目に見えるカタチにするためのアウトライン。
 
心棒とか、土台とか、器のようなものです。
 
 
 
そして、いくつかの違った場所で撮った写真と合わせて、
 
実際には無い、ものや風景を描いたり、
 
時に写真を無視し、写っていないものをねつ造したりします。
 
写真には写っていなくても、現場で私が見て感じたことの方が真実で、
 
それこそが、表現するべきもの(絵で再現すると言ってもいい)だと思うので。
 
ネタを証せば、
 
『え?なんでこの写真がこうなるんですか!?』
 
と、言われそうな写真を使っていたりします。
 
 
当然、写した写真とは似てもにつかぬ風景が絵に現れてくるし、
 
時には自分でも「ああ。私はあの時こういうものを見てたのね!」
 
と発見する場合もあります。
 
 
 
つまり私が描いているのは、
 
現実の風景なり物質なりを見ることによって想起された、
 
現実にはあり得ない『虚構の風景』です。
 
だから、一見本当にある風景のように見えても、
 
どこかがおかしい。現実離れした奇妙な印象を与えるのでしょう。
 
 
 
そして、『虚構の風景』は、そのまま放っておけば、ただの妄想にすぎません。
 
だから、個展や展覧会というカタチで、現実にフィードバックしてやるのです。
 
『虚構の風景』は、現実の中に放り込んでやって初めて、実存になるのだと思います。
 
 
 
 
 
ところで、『虚構の風景』をねつ造するのに最も重要なのは、
 
作品が完成するまで妄想を持続させるための、
 
人よりちょっと度を超した「執着心」「粘着性」だと思います。
 
「妄想」っていうのは、「信仰心」(注:宗教心ではない!)
 
とも深くかかわると思うので、
 
「自らが創りあげた妄想を信仰し続ける執着心」ってことかもね。
 
人として、かなり狂ってますね。
 
(でも私はまだ狂い方が足りないようで、妄想の持続がしょっちゅう途切れます)
 
 
 
 
ということなので、
 
泥の水溜まりが、
 
美しく澄んだ、睡蓮の浮かぶ青い泉に変身してることなどは、普通なのであります。
 
 
私の絵を見てくださるみなさん、
 
気持ちよく騙されてください。
 
 
 
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Camideさん
 
「ダークサイド」はいつだって、
絵を描いてる人間の真横にポカッと大きな口を開いていて、
油断するとすぐ落ちますね。(私は特によく落ちる!)
よく思うのが、『形状記憶精神』っていうのが欲しいなー、と。
良いときの精神状態を呼び戻すことのできる、「合図」っていうか、
それを引っ張ると、すぐに良い状態に戻れる「インデックス」「紐」みたいなもの。
そういうのがあると、助かるのになー。
そういう意味で、『大山崎山荘美術館』のモネとその展示室は、
私にとっては「合図」「インデックス」「紐」になってるみたい。
ここに行くと、しゅーっと憑き物が落ちる感じがする。
 
(ここ、行ったことある人は知ってると思うけど、天王山という山の裾にあるのです。
 かなり急な住宅街の坂を10分ほど登ると、緑が濃く行き止まりになります。
 そこに小さなトンネルというか、アーチがあって、
 アーチをくぐると、さらに木や竹が生い茂った緑の回廊が続きます。
 ザザーッという、風に葉が触れ合う音と、緑の濃い匂いと立ち上る湿気。
 緑の回廊を抜けると、美術館。
 アーチをくぐるこの道行きが、通過儀礼であるような、不思議な気分にさせられます。
 多分、モネを見る前、この道の途中で精神状態がリセットされるんですね。
 私にとってはすごく貴重な場所です。
 お近くの方は、ぜひ一度行ってみてください。)
 
Y本ケースケさん。私も学生時代は話したこと無かったよ!
5年くらい前かしらん?初めて声を聞きました(笑)
話してると、予想を裏切る「え"っ!?」みたいな発言が出たりして、
面白い方です。几帳面かどうかは...さあ?よく知らない。
Camideさんも機会があれば、ケースケさんと直接お話してみてくださいまし。
 
 
 
 
さゆぞうさん
 
「SPEED TUBE」「DUSToidよ歩行は快適か?」「Solid air」
この3曲が頭の中でループ再生してる受付事務員を想像してください。
(左手挙げて、ハイッ!)
「お客さま、何かお問い合わせですか?」
(ディーヤ!ディーヤ!)
「3万円お預かりしましたので、」
(ディーヤイヤイヤイ!)
「1050円のお返しです。お確かめ下さい。ありがとうございました。」
ニッコリしながら、
(ソリッッッデアアアアアーーーーーーーーー!!!!!!!!)
 
ええ、私としては楽しいですけどね。
この純粋に狂ったおっちゃんのやってることを見て聞いてると、
だんだん、自分ももっと狂っていいような気がしてきて、
そこがかなり、危険だなーと。
(あ!すでに今年、狂ったことをしようとしてるんだったわ、私!!(*^▽^*))
 
しかしだね。
何十年前だったか、さゆぞう家に宿泊した時に洗脳されて以来、
平沢進は好きだったから、始めから片足ははまってたのです。
今回は精神状態・経済状態等々の諸事情により、タイミングが良かったのね。
ゴッソリはまりました(笑)私って、いいヒト?
(「現実がコワイくらいに美しい虚構を生む」。
 これ、平沢氏の創作活動にもどんぴしゃでしょ。
 オカマさんという現実が、平沢氏にこれだけの精神の振れ幅を可能にさせる。
 恐ろしい生き物ですね。え?オカマさんが?平沢氏が?もちろんどっちも!!)
 
日頃何考えてるか、少しでも知ってる人のつくるものって、
見ると本当に興味深いものがあるよね。
「あのときああ言ってたのが、これになったか...!うむ!」と。
そして、「私もジェイ・チンタラポン(笑)ではいけないわ〜!」という刺激。
そうおっしゃるサユゾウ・チンタラポンも、
私にそう思わせてくださるチンタラポンのおひとりです。
今後ともよろしく、チンタラポン。
(よく勉強してるでしょ?なにしろ粘着系だから!笑。)
 
 
 
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さて。
 
 
 
「さゆぞう Camide さゆぞう Camide さゆぞう Camide...」
 
と、コメントがサンドイッチ状態ですが。
 
密かにここを見ておられるアナタ!
 
何か書きたいことがあれば、書いて下さいね。
 
「あなたは間違っているううう!!!」とかいう意見はかなり困るんですが、
 
(間違ってても、今とっても取り込み中なので、直せないのでね。)
 
 
ロータス栽培の質問でも、旅行記の質問でも、なんでも良いですよ。
 
私、通常モードでは、さゆぞうさんお墨付きの非常に温厚な良いヒト(笑)なので、
 
誹謗中傷妄想あつかまし以外であれば、時間のある限り、お返事書きます。
 
 
もちろん、「私こそ真のチンタラポンだ!」という方も、大歓迎です。
 
(意味不明)
 
 
 
 
 
ではこれからも、立派な「ジェイ・モウソウ・チンタラポン」となるべく、
 
一層の精進をしていきたいと思います。
 
 
 
本日これでさようなら。
 
ア・ビヤント。