はい、けっこう ― 2009年08月11日 23時20分47秒
あああああああああああ
湿気ている、湿気が、湿気がああああああああ!
みなさんこんにちは、湿気てませんか?
私はめちゃめちゃ湿気ています。
不快指数200パーセントです。
おまけに6月の個展の反省点をぐるぐるぐるぐる考え続けてて、
気持ちが病んでおります。
私が悪かったことは、分かった。
分かったから、もう言わないでくれ!
と、自分に言っても、自分は何度も繰り返して言うわけ。
ああああああ、もう分かったから!
・゜゜・(>_<;)・゜゜・。
どこかへ逃げたいけど、逃げ場は無い。
逃げるお金も無い。
こんな時は、次の制作を始めるのが一番!
・・・なんでしょうけど、暑くて湿気てて頭痛くて、行動起こせず。
ずっと頭が痛い。(比喩ではなく)
色々な声が聞こえる。
『こんなことでは困る』
『一体なにをやってるんだ』
『期待はずれでした』
『もっと精進してください』
『もっと交渉力を持たないとね』
『今が分かれ道ですね』
そうか、分かれ道か。
絵の出来不出来のことなら、私が悪いと認めるけど。
その他のことについて考えるのが、苦痛。
自己主張を上手くできない人間。
交渉力の無い人間は、
「やっていけない」なら、
やっていけなくてもいい、と思う。
そもそも、「やっていける」ために絵を描いてきたんじゃない。
やっていけなくても、やっていけても、絵を描いていくことには関係が無い。
私はこれまで、絵を描いて、どうなりたいと思ってきたのか。
どうにかなりたいなんて、最初から思ってなかったのか。
少なくとも、
『できるだけ出費を少なく個展が出来るようになりたい』
とは思ってきたので、今回その希望が叶えられたということは、
間違いなく、めでたく嬉しいことではある。はず。
でもそれと、『交渉力』とか『自己主張』とか、直接関係あるのか?
『分かれ道』って、どっちへ行ったらどうなるって???
私がこれからどこへ行くのか、誰か正確に知ってる人がいるのか?
知ってるなら、なんでそんなことを知ってるのか?
なんでそう、自信たっぷりにものを言えるのか?
・・こんな性格だから、「やっていけない」んだと知っている。
やっていけないなら、やっていけないでけっこう。
ただ単に人の目の届く場所から退場するだけのこと。
退場したって、死ぬわけじゃなし。
はい、けっこうけっこう。
ああ、頭が痛い。(比喩ではなく)
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やまさん
学芸員さんの資格をお持ちでしたか!
私の文章は、超個人的な一ファンの感想なので、専門の方に言わせると言語道断!かもしれませんので、あまり本気で読まないでくださいね〜。
ファン・エイクの時代、「ネーデルラント(=低い土地という意味)」は、現在のベルギー、オランダ、ルクセンブルク、そしてフランスの一部を含む地域の総称でした。現在でも、オランダを「ネーデルラント」と呼びますよね。
私は中世の臭いをちょっと残した頃の「いびつな絵画」が好きなので、ロベール・カンパン、ロヒール・ファン・デル・ウェイデン、デュルク・バウツ、ハンス・メムリンク、などなど、ファン・エイクの時代周辺の人たちが好きなんです。イタリア人では、フラ・アンジェリコが大好きです。
私の趣味は何にしても、王道から少しずれていて、マイナー傾向にありますね。彼らの作品の、「異様に硬くて細かくて暗めで開放感の無い感じ」に、共感するんですよね。
(それでも、同時代の画家とは思えないくらい、ヤンの作品のクオリティは他の画家のそれに比べて突出しており、「天才は突然変異的に現れる」ものなのか、と思えます。)
生没年で比較すると、ヤン(1390年頃〜1441年)は、かの有名なレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年〜1519年)と、ちょうど入れ替わりで世を去ったわけです。ヤンは、イタリア・ルネッサンスの先駆けの時代に生きた人だったのですね!
やまさんちの睡蓮さん、よく咲いてますねー!
私も来年は挑戦しようかな、とか、ちょっと企んでいたりして・・
(;^^)ヘ..
盆栽中年さん
>土に植えて放って置くだけでも 一つや二つは花が咲くはず
え・・・・・・(@_@;)
それなのに、こんなに手こずっている私。
あ。ご報告遅れましたが、盆栽中年さんが使っておられる、
『花工場』を使い始めました。なかなか良いですね!
確実に栄養が行ってる気がします。ありがとうございます。
私もイタリア・ルネサンス頃の作品を見てよく思います。
「これってホントに"あのイタリア人"たちが作ったんか・・?」
あの、アモーレ!アモーレ!の人と、結びつかないんですよ。
で、個人的に考えたんですが、その当時っていうのは、
気候が今よりも寒くて、人々の性格とか行動規範っていうのが、
今とは全く違っていたのでは?と。
現に、当時描かれた人物の服装を見ると、シャツにベストに外套に帽子・・
かなり厚着ですよね?温暖な国イタリアじゃないみたいに。
とすれば、寒い時にはお家でお籠もりして机に向かい、
鬱々と遠近法の研究してたとしても、それはそれで有りの気がするんです。
そして、「神を称えるための芸術」から、
関心が、「人間」へと移り始めた時代が、ルネサンスであったとすれば、
「天上界」ではなく「人間が生きている現実の世界」を写すために、
「見えたとおりに表現するための手段」としての遠近法が生まれても、
それもまた納得がいく気がします。
「表現」っていうのは、基本的に、いつの時も、
その「時代」の人々の生き様を写しているものなんだと思います。
まあ詳しくは、専門家の方がちゃんと調べて書いてくれているでしょうから、自分でこんな勝手な推理をするよりも、そっちを読んで勉強するべきですよね!
(^_^;)
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世話をしている私の調子は最悪ですが、ロータスさん達はまあまあ元気です。
『Lotusのツボ5』更新しました。
ではみなさまさようなら。
よいお盆を。
急な雨、河川や水路の増水、土砂災害には気を付けて。
合掌 (-人-)
コメント
_ Shu ― 2009年08月13日 21時33分54秒
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絵に入場も退場もない。
自分と、自分の絵、その二つがあれば十分じゃない?
誰も何も分かっちゃいないのに、分かったようなこと言いたがるもんさ。
少なくとも僕は、君の絵をずっと見ていたいけどな…遠くからだけど。